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いわゆる『カプロイア財閥』の歴史は浅く、イタリアマフィアが緩やかな共同体制を取って以後の事だ。
年月にすれば、半世紀ほどに過ぎない。それがカプロイアと言う名前とトップを戴いている時期は更に短く、
僅かにここ30年程の事だ。
カプロイアは、メディチに連なるイタリア貴族であり、伯爵位は同国で王制が廃されて後は自称である。
現在に繋がるような形でカプロイアの名が史書に現れた例としては、16世紀の農民同士の争いの
仲裁者としてが最古であろう。その後も、裁判制度が未発達な時代には直接的に係争を裁く者として、
後代には仲裁者として、カプロイアの名は中下層階級に一定の影響力を保っていた。
これは中世にはカプロイア家に限るものではなく、名家や高位聖職者に対する民衆の尊敬の念の表れとして
一般的な物だったようだ。
カプロイアが特筆すべきであった点は、時代の変遷に関わらず、その影響力を保持していた点にある。
村落同士の争いが、やがてそこを基盤とするマフィアの物に変わって後も、カプロイアの仲裁であれば
矛を収めるのが慣例だったようだ。
中立であったカプロイアの立場が変わったのは、現在のカプロイア伯爵の父の代になる。
恋愛の末、結ばれた相手が近隣マフィアのアンダーボス、エリオ・ベーロの妹であった為だ。
本来、マフィアは血族外との婚姻に激しい拒否反応を示すのだが、彼はカプロイアを血族として遇するべく動き、
この婚姻は表向きは祝福された。
近代化の必要性は理解しつつも、未だに組織同士の抗争がやまぬ各マフィアにとって、
とりあえず納得できるような旗頭を必要としていたという事情もある。
エリオとカプロイア家の間の蜜月は短かった。
脱マフィア、近代化を計ろうとするカプロイアとエリオの仲は次第に悪化。
1990年に、先代カプロイア伯は自宅にて死去したが、この裏にはエリオの意図があったとも言われている。
現在のカプロイア伯は、父の死去の翌年、伯爵位を継承するまでは無名だった。
既に『カプロイア』の名を冠していた財閥の当主に就任した際の会見にて、まだ未成年だった彼は
「個人の名は捨てた」と語っている。
表舞台に姿を現すようになってからは、独特のファッションと奇妙な存在感で社交界の『有名人』となった彼は、
財界に於いては、経営者としてだけではなく個人の投資手腕によっても一目置かれる地位を築いている。
いまだ恐ろしい勢いで増え続けているらしい彼の個人資産は、島1つ程度で目減りするような額ではないらしい。
カプロイア財団における伯爵の役職は『総帥』だ。発言権は肩書きから受ける印象ほどに強い物ではないが、
発言力という事になると極めて大きいと思われる。
伯爵自身は父同様の『改革派』であり、表向きは隠棲の身であるエリオや同世代のマフィアボス、
いわゆる『長老』との間で軋轢が生じていると言う噂もある。
この6月で30歳となったカプロイア伯爵自身にはまだ浮いた話が無い。
これは彼がマフィアの一員として認められているゆえ、という。
万が一にも血族以外の相手の名が伯爵の婚姻相手として浮かび上がったならば、速やかに退場させられる、
という噂が、まことしやかに囁かれている。
<写真 : 『ナイト・ゴールド』の正体については生暖かく見守るのが紳士淑女の嗜みである>
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