「走る喜び」サビク

 欧州のカプロイア社の車両部門がリリースした、「走り」に拘ったニューモデル、サビク。
 同社広報担当によれば、『Sabik(サビク)』とは制圧者/勝利者を指す、へびつかい座イータ星の固有名であり、当車が『陸路の覇者』として君臨すべく生み出された車である事を表現しているとの事だ。
 この、自信に満ちた発言から伺えるように、この車は現状の「乗用車」の枠内では様々な意味で限界を試すような仕様である。そして、いい意味で乗り手も選ぶ車だった。

 『カプロイアの最速も、意外に大した事無いな』
 それが試乗した最初の感想だった。確かに速いのだが、筆者は能力者でもある。乗りなれているKVには比べるべくもない。そして、居住性はお世辞にも良くはなく、オーディオもないとくれば、長時間の退屈なドライブにはすぐ飽きが来る。こいつは、カプロイアのステータスで買う一部のマニアにしか売れないだろうな、と私は漠然と思った。
「いかがですか?」
「確かにいい車ですね」
 そう当たり障りの無いコメントを告げて車を降りようとした私に、カプロイア社広報の美女は微笑をたたえたままこう尋ねたものだ。
「失礼ですが、お客様は今のテストコースは初見でいらっしゃいますね? でしたら、二週目はもう少し早く回れそうですが‥‥」
 失礼な、と怒るよりも興味が先に立った。どういう意図で、そんな事を口にしたのか。
 レーサー、という訳ではないが走るのが好きな私が、一週目にする事はコースの観察、そしてもう一つ重要なのは、その車の癖‥‥『動き』を知る事だ。何処でどのタイミングでハンドルを切るべきか、ブレーキを、あるいはアクセルを踏むべき

ビビアン艦長の痛ペイント‥‥とかいうのはこの車を分かっていない小僧だ!(illust:えぼるぶ
か。漫然と走っている小僧ならともかく、周回を重ねてタイムが変わらないなどという事がある筈も無い。
 美女と、何か賭けをすれば良かったかな、と不埒な事を思いつつ、再び走り出した私に、驚きが待っていた。
『これは凄い』
 こう走ればタイムが縮む、とぼんやり思いついたラインを走ろうとする私の意図を、車は見事にトレースした。手足のように完璧な追従性、というわけではない。それは私がこのマシンの特性を知り尽くしていないからだ。どういう操作をした時にどんな挙動を示すのか、自分の望む動きをさせるのに、車が何を望んでいるのか。それを知ればもっと速く走る事が出来るという確信があった。もう少し、車と対話すれば――。
「いかがでしたか?」
 三週、余分に走ってから車を降りた私は、余計な言葉を返さずに、満面の笑顔で頷いた。
 結論からいえば、サビクはレコードタイムを叩き出すような最速のモンスターではない。しかし、自分の身体の延長のような一体感がある。一体感だけではない。ともすれば、「自分の全力を引き出してみろ」と車から語りかけられるような、挑戦的なニュアンスすら感じた。
そこには退屈なドライブは存在しない。そして、私のような市井の走り屋が求める事は、まさにそれなのだ。
 しかし、万人受けするモデルかといわれれば、答えはNOと言わざるを得ない。例えば、休日に子供を連れて遊園地へ走るお父さんには、向かない車だ。彼女とのデートにも、あまりお勧めはできない。もちろん、理解のある伴侶を見つける事が出来ればその限りでは無いのだが――。
 走る事を第一に楽しむ贅沢を自分に許せる者のみが、この車との出会いを歓迎するだろう。

 こうなると気になるのは値段だ。こっそり聞いた能力者向け販売価格は、限界どころか、正直に言えばこの値段では製造原価すら回収できているのか怪しい、と思う額だった。ロッカーの外で、私の疑問に再び返答してくれた広報担当の美女は晴れやかな笑顔でこう告げた。
「能力者の皆さんが、この車で誰かを救いに颯爽と駆けつけていただけるのなら、カプロイアのブランドイメージ向上に果たしてくれる役割は、お金で買える物ではありませんから」
 ――こう言うあたり、やはりカプロイアはカプロイア、という事なのだろう。



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